乙宝寺とは

乙宝寺は御祈祷の寺です。

天平8年(736年)聖武天皇の勅願により行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧が開山されました。 七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊がおまつりされています。
この金堂は大日堂と呼ばれ、昔から請願成就を祈祷する道場でした。現在では、一年を通じ毎日厄除開運、家内安全、新車加持、合格成就、商売繁盛、良縁成就などあらゆる請願の成就祈祷が随時おこなわれています。特に正月初詣には参拝者が境内をうめつくします。祈祷の太鼓が止むことがありません。

お釈迦様の左の御眼が納められた寺です。

インド僧婆羅門僧正は、当寺にお釈迦様の左眼を納めて乙寺と名づけたといわれています。右眼は中国に納められ甲寺と呼ばれました。
平安時代後白河天皇は、左眼を納める金塔を寄進して、乙寺から乙宝寺に改名されたといわれております。 また降って、上杉謙信公は左眼の分粒を願い、当寺に帰依して上杉家の擁護にしたといわれています。

乙宝寺は伝説の寺です。

寺にまつわる伝説が沢山残されています。お猿の伝説、三重塔伝説、大鳥池伝説、仁王門伝説などがあります。特にお猿の伝説はよく知られております。平安時代の『今昔物語集』に載せられています。
寺の裏山に住む二匹の猿が、お寺の和尚さんに木皮経を書いてもらい、その功徳で人間に(越後の国司となって)生まれ変わってきたという話です。このため、猿供養寺という別名が残されています。猿を供養した墓(サル塚)や猿に書いてやった写経(木皮経)が今でも残されています。また落語家の三遊亭円窓師匠はこの話を「写経猿」という落語にしております。

芭蕉が奥の細道の途中参拝しました。

元禄2年(1689年)7月1日、松尾芭蕉は奥の細道で当寺を参拝いたしました。当時より桜の名所となっていたようで、『うらやまし浮世の北の山桜』という芭蕉の句碑が残されています。また、この句碑のあるところを浮世塚と呼んでいます。
さらに当時のさくらを詠んだ句には、
  『三越路や乙の寺の花ざかり』  酒田の不玉
  『差別なう神も仏もさくらかな』  安田以哉坊
があります。

三重塔のある寺。

乙宝寺の境内は2万5千坪あります。その他に十五町歩の森林が囲んでおります。この広い境内には多くの堂塔伽藍が残されています。
三重塔は国の重要文化財で、慶長19年(1614年)起工、元和6年(1620年)に竣工した古式の塔です。村上城主周防守忠勝公の発願寄進です。落慶供養は村上城主堀丹後守源朝臣直奇により行われました。江戸初期建築ですが、絵様彫刻のない純和様式で柿葺のバランスの取れた美しい塔です。塔内安置仏は普賢菩薩です。
その他、弁天堂(県文化財)、山門、鐘楼堂、地蔵堂、観音堂、六角堂、稲荷社、真言堂、本坊、八所権現社(宮殿は県文)などがあります。
「境内案内」もご覧ください。

どっこん水の湧きいずる寺です。

弘法大師が独鈷(とっこ)で清水を出したという独鈷水が境内にあります。当地ではなまって「どっこん水」と呼んでいます。大変おいしい飯豊山より流れでた胎内川の伏流水です。

案内図

アクセス方法の詳細はこちら
〒959-2602
新潟県胎内市乙1112番地

御朱印について

乙宝寺は、新潟県内の各種霊場の札所となっています。
 ・越後三十三観音霊場
  第二十六番札所
 ・越後薬師霊場
  第二十二番札所
 ・越後新四国八十八ヶ所霊場
  第三十八番札所
 ・越後弘法大師二十一か所霊場
  第八番札所
これら霊場の御朱印は大日堂内の受付にて承ります。

写真については、越後三十三観音霊場のご朱印となっております。
また、本尊さまのご朱印やそれぞれの霊場のご朱印は、写真のような冊子にも朱印できます。或いは冊子を忘れても、用紙に朱印してそれを後で冊子に貼って頂く方法もあります。

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